※日記等

33歳男。中国嫁あり。バイトかけもち

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Posted by C_ on  | 

祖母がそろそろ危ないと連絡がある

今朝早くに父親から連絡がくる。

「おばあさん、そろそろ危ない。礼服買って備えておいて」



寝耳に水だった。


祖母は昨年末に転倒し、頭をぶつけて入院した。俺も見舞いに行ったが、頭は痴呆が進んでいたものの、身体自体は健康だった。退院後、介護施設にそのまま入所してたまに親父が様子を見に行ってるんだろうな、くらいにしか思っていなかった。


父親とも連絡は一ヶ月に一度くらいしかしないせいかもしれない。聞けば今年始めのほうからずっと容体が悪かったらしい。先々月くらいからは会話すらできない状態に。


うーん。正直言って俺に悲しいという感情はない。

祖母とは一年に一度連絡するかどうかになっていたし、そもそも幼少時代に従姉妹のほうが祖母に甘やかされていた思い出しかないし、今の俺には割とどうでもいいことに過ぎない。

そうは言っても祖母の容体を父親から聞かされた時には心に穴が空いたようには感じる。



それよりも。
父親が、まあぶっちゃけマザコンだったから、そっちのほうが遥かに心配なんだ。3日以上の連休にはいつも帰省していたし。


なんていうか、祖母は父親にとって生きがいだったように思える。

祖母が元気だった頃に父の幼少時代の話をよく聞かされた。



父の父親は早くに交通事故で亡くなった。祖母は女手一つで父と叔母を養い、大学を出させるまで働いたそうな。

祖母の家は元々借り屋というか複数の家族が同居する家だったらしい。和室二つ、洋室一つ、それと小部屋が二つ。祖母の一家は洋室に住んでいたという。

生活は貧しかったらしい。でも父親は国立大を出てしっかりと就職した。毎月の生活費も祖母にしっかり仕送りしていた。

祖母は米寿を迎えた頃も呆けはほとんどなく毎日の掃除洗濯食事作り庭の手入れ、など一人で何もかもできていた。晩年は足が弱り外に買い物へ行く際には手押し車?を押しながら、が必須となっていたが。

毎週日曜日の夜、大河ドラマを見終わるくらいの時間に父が祖母に電話をかけるのは習慣になっていた。
父は祖母を愛していたのだろう。

愛する人がこの世から去った時、どういう変化をするのだろう、と思う。



今日は雨だけど明日くらいには礼服買っておかなければと思う。

それにしても。
俺はそんなに思わないからこそ、お互いに長引かなくって良かったねと冷たく思う。


こんなこと言うと嫁にいつも怒られるのだけど、痴呆になって長生きしたってしょうがないじゃない。家族関係は悪化するだけだし、自分の自我が保てないのなら生きてる意味なんてないよね、と。


俺はどうだろう?

呆けて死ぬのは嫌だし、そんなに80歳だとかまで生きられる気がしないし。生きられるまで生きて、死期がきたら死ぬだけだ。死ぬまで生きよう。

スポンサーサイト

Category : 未分類
Posted by C_ on  | 0 comments  0 trackback

Leave a reply






管理者にだけ表示を許可する

Trackbacks

trackbackURL:http://rokudome.blog.fc2.com/tb.php/108-852862e2
該当の記事は見つかりませんでした。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。